石川先生のページ
石川先生挨拶
平成元年、高幡不動尊の参道に漢方専門のクリニックを開業致しました。平成7年に現在地に移転し、医療法人に改組致しました。
毎年1000名位の新しい患者さんが色々な所からお見えになっています。有難い事です。
これは、多くの新しい患者さんを御紹介下さった、古くからの患者さんや医師、薬剤師、鍼灸師、整体師、看護師等の医療分野に関わっておられる皆様方のご厚意の賜物と心から感謝申し上げます。
漢方専門外来を始めてみて、漢方に対する皆様方の理解やイメージが様々である事に気付きました。
古くから、漢方と言葉は使い古されていてごくごく当たり前のように使っております。しかし、私達が見るとどうしてこんな風に使うのだろうかと思う事が多いようです。例えば中国漢方という言葉があります。本場中国の漢方という意味らしいですが、そんなものは存在しません。現実に使われている漢方という言葉は、色々な思惑があって使われているので注意が必要です。
漢方の歴史
奈良時代に、中国の漢時代に創られた医学、傷寒論と言う急性伝染病を治療した治療体系を示した原典が、日本に取り入れられました。
漢の時代の傷寒論を基にした治療法で、用いた処方と言う意味で漢方と言う名称が使われました。それから、長い時間を掛けて、日本人に合う様に、日本人による改良がなされ、室町時代以降、日本の基本的な医療として根付いて参りました。
江戸時代に入り、漢方医学は本国中国医学の発展を凌駕、世界最高の医学として、日本医学の地位を確立致しました。
江戸時代中期から、オランダ医学が輸入され、蘭方(オランダ医学)に対して、漢方と言う名で日本医学を呼ぶ様になりました。
更に明治時代に入り、明治政府は西洋医学を医学の基本として採り入れ、西洋医学の医師国家試験を導入する事で、漢方医学は正規の医療から外れて行きました。但し、医師国家試験に合格して、医師として認められた者は、漢方医学を治療として用いて良いと言う事になりました。
しかし、医師国家試験では漢方医学の基本的な思想を認めていない為、漢方医学を学んでも医師国家試験に合格する事が出来なくなりました。その為、漢方医学を学ぶ人々が無くなり、漢方医学は衰退の一途を辿りました。しかし、和田啓十郎先生が、医学校を首席で卒業し、医師になった後、「医界の鐡椎」という本で、医学として漢方医学が、如何に素晴らしいものかを解き明かして注目を浴びて以来、漢方医学の復興運動が始まりました。
明治政府は治療学をフランスから、導入しようとして、帝國大学の俊英板倉武先生を留学させた時、フランスの指導教授が日本には、傷寒論と言う素晴らしい治療学があるではないかと指摘され、帰国後その事を報告しましたが、当時の明治政府の方針に合わず左遷される羽目になったと言われています。
明治政府は江戸幕府の優位性を完全に否定するため、あらゆる面で江戸文化を否定することに躍起となっていた様です。
庶民の間では漢方医学が認められていたので、漢方はほんの一握りの医師と漢方専門薬局の努力で生き永らえて来ました。
大正時代から昭和時代にかけ、和田啓十郎先生の弟子に当たる湯本求真先生が「皇漢医学」と言う素晴らしい著書を出版され、この著書に触発された弟子の大塚敬節先生や森道伯先生の弟子、矢数道明先生、森田幸門先生の流れをくむ細野史郎先生方が、現代の漢方医学を糾合して、今の漢方医学の礎を築きました。
この為、漢方薬は薬局で扱うものの様に感じる人が多いのですが、歴史的な弾圧によって漢方を遣る医師の数が減ったために、中々専門の医師に診てもらえなかったのが実態でした。
漢方は立派な医学で、医師が、確りとした知識と経験を持って行う経験医学です。
巷間では千振やゲンノショウコの様な民間薬や生姜や大蒜の様な生薬や野菜なども漢方と考えている人も多い様です。最近では、サプリメントが流行っており、サメ軟骨やコンドロイチン等も、漢方薬と考える人がいます。
ここで説明したように全く違う事がお分かりになったかと思います。
漢方薬は生薬の組み合わせで、作られ得ておりますが、その基本は漢方医学の診断法を用いて、その人に合う処方を診たてます。その診たてた処方を漢方薬と言い、症状を聞いただけで漢方的な脈診や腹診をしないで、漢方薬を処方する事は出来ません。気を付けて頂きたいと思います。
漢方への遍歴
慈恵医大に入学した時、西洋医学が中心だが、東洋医学もあると言うことで、両方の良い所を融合すれば素晴らしい医療が出来るのではないかと思い興味を持ちました。先輩の大川清先生(阿佐ヶ谷で開業)に漢方の基礎を教えて頂きました。その後、先生が留学され、勉強会は中断する事になりました。卒業後、細菌学教室に入り、遺伝子工学の研究、多剤耐性の研究、重金属耐性の研究等を発表し、New York Academy of Scienceのactive memberに選出されました。
その後、内科に移り、抗生剤等の化学療法の仕事をしていました。
臨床医学は中々治療困難な症例が多く、大変苦労致しました。治療法もステロイド、免疫抑制剤や抗生剤が中心で、それで治療が上手く行かないとお手上げになります。
漢方ヘののめり込みは、ある時インフルエンザに罹り、漢方治療で完治したと言う素晴らしい経験からです。
その後、五年間、独学で漢方治療を習得しましたが、自分の治療法に十分納得行かなかった為、臨床経験が豊富で、漢方界の第一者である山田光胤先生に師事したいと考え、ようやく知り合いから、ご紹介を頂き師事することが出来ました。
山田光胤先生は大塚敬節先生の娘婿で、大塚先生の流れを汲む古方系の大家で、その漢方医学を教えて頂きました。
これからも、お教え頂いた方伎を益々磨き、伝統医学を継承していきたいと考えております。